東京高等裁判所 平成3年(ネ)4121号 判決 1994年2月28日
控訴人
株式会社緑風出版
右代表者代表取締役
高須次郎
右訴訟代理人弁護士
角尾隆信
同
山口広
同
海渡雄一
同
福島端穂
被控訴人
株式会社中日新聞社
右代表者代表取締役
加藤巳一郎
右訴訟代理人弁護士
淺岡省吾
主文
原判決を次のとおり変更する。
被控訴人は控訴人に対し、金一万〇五〇〇円及びこれに対する平成元年一月二七日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の、各負担とする。
この判決は、控訴人勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は控訴人に対し、金一二〇万円及びこれに対する平成元年一月二七日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
4 仮執行の宣言
二 控訴の趣旨に対する答弁
本件控訴を棄却する。
第二 当事者双方の事実の主張は、次のとおり付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中「第二 事案の概要」欄記載のとおりであり、証拠の関係は、証拠目録(原審・当審)記載のとおりであるから、それぞれこれらを引用する。
1 原判決書二枚目表二行目から五行目までを「本件は、被控訴人がその発行する新聞に控訴人の出版物の広告を掲載しなかったことにつき、控訴人が第一次的に、控訴人と被控訴人との間に成立した広告掲載契約に違反するとし、第二次的に、控訴人と広告社、広告社と被控訴人との間で成立した広告掲載契約に違反するとし、第三次的に、被控訴人には契約締結上の過失があったとして、被控訴人に対し、その被った損害一二〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である平成元年一月二七日から商事法定利率による遅延損害金の支払いを求める事案である。」に改める。
2 原判決二枚目裏一行目の「被告が」の次に「同月一七日に発行する中日新聞及び」を加え、六行目の「再度広告の出稿を」を「中日新聞との連合広告は取り止めになったので、東京新聞へ広告を出稿するよう再度」に改める。
3 原判決三枚目裏五行目から八行目までを次のとおり改める。
「1 控訴人と被控訴人との間に広告掲載契約が成立したか。
(控訴人の主張)
被控訴人は平成元年一月一〇日契約の申込みをし(前記争いのない事実2)、さらに、同月一二日その内容を訂正して申込みをし(同3)、これを控訴人が承諾したことにより、被控訴人が一月一八日その発行する東京新聞「昭和史」特集保存版に一枠三段八分の一の大きさで控訴人が発行する「ドキュメント昭和天皇」の広告を一万円で掲載する旨の契約が成立した。なお、被控訴人は、一月一〇日には東京新聞に単独掲載することを決め、一一日には、日新広告に他の出版社に対して広告料一万円で勧誘させていたものであって、控訴人と被控訴人との間でも、右のとおり、一二日に広告料一万円で契約が成立したものである。
仮に右一二日朝の時点で契約が成立していなかったとしても、同日午後控訴人が被控訴人に原稿を送付して広告掲載契約の申込みをし、被控訴人が版下作成業者に版下(写植機で文字を打ち、それを台紙に貼り込んだもの)を作成させ、これをファクシミリで控訴人に送付し、右版下に控訴人が修正を加えて被控訴人にファクシミリで送付した上、午後五時五〇分ころ控訴人が被控訴人に電話をかけ、西田との間で校正箇所の確認を行い、「責了」として掲載内容を確定した時点で被控訴人の承諾があり、前記のとおりの契約が成立した。
本件は、控訴人と被控訴人との間のいわゆる直取引であり、広告料の決済につき日新広告を通す形にしたに過ぎない。控訴人と被控訴人は、控訴人が日新広告に一万円の広告料を他の支払いと一緒に支払う旨の第三者のためにする契約を締結したものである。
(被控訴人の主張)
新聞広告の掲載媒体である被控訴人東京本社出版広告部が、出稿者である出版社と直接新聞広告掲載契約をすることはない。必ず、被控訴人と継続的取引契約(基本契約)を結んでいる「限定広告会社」との間で個別的な掲載契約を締結し、これに基づき新聞広告の掲載をするのであり、新聞広告の掲載については、出稿出版社と限定広告会社間の出稿契約と、限定広告会社と被控訴人間の掲載契約の二者が存在しているのである。広告料金についても、当然出稿契約上の広告料金と掲載契約上の広告料金との二者が存在し、これらは必ずしも同一料金になるわけではない。ところで、被控訴人の企画広告(一定の広告を集めて連合広告として掲載するもの)の場合には、被控訴人の出版広告部員も限定広告会社と並行して出版社を訪問し、折衝することがある(被控訴人ではこれを「広告取材」といっている。)が、これは、被控訴人と出版社との間での掲載契約の締結交渉として行っているのではなく、出稿の環境作りないし下話として行っているものであり、取材の際に扱い広告会社をどうするのか出版社の意向を質し、希望があればその選択先を確認し、出版社の出稿意思や出稿条件が確認できたら、これを限定広告会社に提供するものである。限定広告会社は、この提供された情報を下地に出版社との間で出稿契約を締結する。このように、出版広告部員の取材は、出稿勧誘と限定広告会社へ提供する情報の収集活動であり、新聞社は出版社とは直接契約をしないで広告会社扱いとし、新聞社が取引をするのは基本契約を締結している広告会社であるというのが業界の取引慣行である。本件においても、連合企画広告であり、時間的制約があったため、西田ら被控訴人の出版広告部員が手分けして広告取材を行ったものである。そして、平成元年一月一二日の電話においては、西田は、控訴人代表者に対し最終的に三万円の金額を提示したところ、一万円なら出してもいいという返事であり、常識では考えられない額ではあったが、最後の一枠が埋まらないという条件付であれば、載せられるケースもありうると思い直して断りはしなかったのである。そして控訴人代表者に扱い代理店を指定してもらい(日新広告と指定)、これを川本部員に伝え、同部員が日新広告の松田卓三(以下「松田」という。)に情報を提供したものである。
また、広告料金についても、日新広告は、被控訴人との間の掲載料金を裁量で決めうるものであり、その請求手続も、日新広告が自らの名で自社の経理手続に従って、自社の名の請求書を作成して行うものであり、締切日、支払期日もそれぞれ異なっている。これらは、日新広告が掲載契約とは別個の出稿契約の契約当事者であり、その出稿料(広告料金)を徴収するからにほかならない。
2(一) 仮に控訴人と被控訴人との間に直接契約が成立していなかったとしても、控訴人と日新広告、日新広告と被控訴人との間に広告掲載契約が成立したか。
(控訴人の主張)
仮に日新広告が被控訴人の準問屋の地位にあったとしても、委託者である被控訴人側(西田)の行為は、日新広告と控訴人との間の契約関係についても日新広告に委託した者の行為として日新広告を拘束するものであるから、遅くとも控訴人と被控訴人相亙のファクシミリのやりとりと電話連絡により広告内容まで確定した一三日午後五時五〇分の時点で、控訴人と日新広告、日新広告と被控訴人との間に広告掲載契約が成立した。
(二) 右の二つの契約(控訴人と日新広告、日新広告と被控訴人との間の契約)が成立したとして、被控訴人が正当の事由なく契約上の義務を履行しないときは、控訴人は直接被控訴人に対し債務不履行責任を問い得るか。
(控訴人の主張)
日新広告が被控訴人の準問屋であるとした場合、準問屋である日新広告と委託者である被控訴人との間で取次契約が成立し、その実行のための売買契約類似の「販売又ハ買入ニ非サル行為」(商法五五八条)に相当するのが日新広告と控訴人間の広告掲載契約である。そして、この場合、商法五五二条二項により、準問屋である日新広告と委託者である被控訴人との法律関係については、委任、代理の規定が準用される。したがって、委託者である被控訴人の社員西田の広告掲載約束行為は、準問屋である日新広告を拘束するのみならず、委託者である被控訴人の債務について、準問屋の債権者たる地位にある控訴人は委託者である被控訴人に対して直接その履行及び不履行に対する損害賠償を請求できる法律上の地位にある。商法五五三条により、問屋は委託者のためになした販売又は買入につき相手方がその債務を履行しない場合に自らその履行をなす責めに任ずるのであるから、準問屋である日新広告は自ら広告掲載料を広告主たる控訴人に代わって履行する責めに任ずることとなり、民法六四六条二項も受任者が委任者のために自己の名をもって取得した権利はこれを委任者に移転することと定めているので、委託者たる日新広告はその名をもって取得した権利を委任者である被控訴人に移転することを要することとなる。このことからしても、本人たる被控訴人の債務不履行について取引の相手方たる控訴人は直接被控訴人に対しその責任を負うべきである。
(三) 仮に右二つの契約が成立した場合、被控訴人と日新広告との間の契約は失効したか。
(被控訴人の主張)
被控訴人と日新広告との間の基本契約においては、日新広告が募集した広告は、被控訴人の制定する広告掲載基準要項に抵触せず、また新聞の公器性を損なわない限り掲載することとされている。これは、新聞広告の個別契約は当該広告の掲載が問題がないと判断され掲載すると決定されること(掲載決定)を停止条件としているか、問題があり掲載は不適当と判断され掲載しないと決定されること(不掲載決定)を解除条件としているか、問題があり掲載は不適当と判断されるときは解約できるとの解約権を留保しているものと解すべきである。
本件企画広告は、昭和天皇の追悼を趣旨とするものであるところ、本件広告文面は、右趣旨にそぐわないため、被控訴人は、前記掲載基準五項「その他、広告は中日新聞社が掲載を適当と認めるものでなければならない。」、「全般規定一一項 次の各項に該当するものは掲載しない。 その他、本社が適当でないと認めたもの」、「広告の掲載権 中日新聞社に申し込まれた広告についての掲載可否の決定権は、本社にあるものとします。」により、掲載を不適当と判断したものである。すなわち、掲載決定をするとの停止条件が成就しなかったか、不掲載決定をして解除条件が成就したか、留保解約権の行使により解約されたものである。
(控訴人の主張)
被控訴人が主張するような停止条件の存在及び本件企画広告の趣旨は否認する。仮に解除条件が付されていたと解する余地があるとしても、被控訴人が主張するような包括的な理由による契約破棄は、出版活動の基礎になる広告を不当に危険にさらし、報道の自由の濫用による出版の自由の侵害であり、許されない。
3 仮に被控訴人に債務不履行があったとき、これによる控訴人の損害額はいくらか。
(控訴人の主張)
① 逸失利益
本件広告が掲載されなかったことにより、少なくとも一〇〇人の購読者を失った。一セットの定価は合計一万二五〇〇円であり、粗利益率は約四割であるから、少なくとも五〇万円の得べかりし利益を喪失した。
② 名誉信用毀損
被控訴人の全く社会的に容認しがたい理由による本件広告の掲載拒否により、控訴人はその出版法人としての名誉と信用を著しく毀損され、多大な精神的な苦痛を受けた。これを金銭に換算すれば、五〇万円を下らない。
③ 実費
控訴人代表者が本件契約の締結交渉等のため少なくとも五時間を要したが、この時間の労働が被控訴人の債務不履行により無駄となった。本件当時の控訴人の年間総売上額は約三六〇〇万円、総労働時間は二〇〇〇時間で、総利益の六割は代表者の労働によるものと考えられるから、この間代表者が別の仕事をしていれば、少なくとも五万四〇〇〇円の利益を上げることができたはずである。
また、広告原稿の作成とファクシミリ送信、電話料金として少なくとも五〇〇円の出費を余儀なくされた。
④ 弁護士費用
本件債務不履行と相当因果関係のある弁護士費用は二〇万円を下らない。
4 仮に、1、2の理由がないとして、被控訴人に契約締結上の不法行為責任が認められるか。
(控訴人の主張)
控訴人と被控訴人との間では、広告契約の要素である広告掲載時期、広告紙面、広告のサイズ、広告料、対象書籍、広告文面について合意に至っており、このような段階に至ったときは、契約当事者は、信義誠実の原則により、第一に、契約が成立となる可能性とその要件についての告知、説明義務を負う。仮に被控訴人として、天皇制に批判的な広告は掲載しないという基準があったのであれば、これを事前に告知、説明すべきであったのに、被控訴人はこれを怠った。第二に、契約当事者が契約成立を信頼してこれを前提に準備行為を進め、これに伴って費用を支出している場合には、契約締結の不確実性を指摘し、準備行為を中止させる義務を負う。ところが、被控訴人は、これを怠り、そのため、控訴人は、契約成立を期待し、その準備行為として広告原稿を作成したにとどまらず、ファクシミリや電話による校正作業を精力的に行い、校正作業まで完了した。第三に、契約交渉が高度の蓋然性をもって契約成立を確信しうる程度に至った場合には相手方の期待を侵害しないよう、誠実に契約成立に努める義務がある。ところが、被控訴人は、広告文面につき右翼団体などからクレームがつくことを恐れて広告の不掲載を決めてしまったのであり、しかも、控訴人に対する対応は行き当たりばったりの不誠実なものであり、広告を掲載できない理由の説明も変転し、契約成立、広告掲載のための前向きの提案が全くなかった。少なくとも被控訴人には契約類似の信頼関係に基づく信義則違反としての不法行為責任がある。
(被控訴人の主張)
一般に契約締結に向けては、各当事者がその契約の種類や性質に応じて相応の準備行為ないし前段行為を行うことが不可欠であり、これは当然各当事者間の負担においてすべきものである。新聞の出版広告においては、版下作成は広告会社段階で行われるもので、広告会社から被控訴人へはこの版下又は紙やき(版下を写真撮りしてネガを起こし、これを印画紙に焼き付けたもの)の形で持ち込まれるのが一般であり、これにつき掲載の諾否の検討・判断がされるものであり、本件においても、被控訴人に提出する原稿は紙やきまたは版下とされていたのであるから、版下作成段階(しかも、本件においては版下作成費用を控訴人に負担させたわけでもない。)まで準備行為が進んだ後成約を断ったとしても、不法行為には当たらない。
理由
一争点1について
1 甲第一号証、第二号証の一、二、第三ないし第五号証、乙第四号証、原審証人西田正直、同田中盾彦、同小汀良久の各証言及び原審における控訴人代表者尋問の結果並びに当審証人松田卓三の証言によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 平成元年一月当時、被控訴人の東京本社広告局は、第一ないし第三部、案内・地方部、出版広告部、スポーツ部、広告管理部、企画開発部及び整理部に分かれており、各部は、整理部が品川分室に置かれていた他は、日比谷分室に置かれていた。
出版広告部は、出版物及び通信教育の広告を扱っており、整理部は、広告審査、整理・校閲の他、新聞全体の広告の大まかな割付け(レイアウト)を担当していたが、出版広告部も、出版物及び通信教育の広告の分野に限り割付けの権限を有していた。出版広告部の構成は、部長の田中盾彦(以下「田中」という。)、次長(いわゆるデスクに相当する。)の山田正一及び田沢兼一(以下「田沢」という。)川本、西田ら総勢六名であった。
(二) 被控訴人は、昭和天皇死亡前から、昭和天皇死亡の翌日に第一集の天皇追悼特集を、死亡後一〇日以内に第二集の昭和特集を組むことを企画し、第二集については広告も集めることを予定していた。被控訴人の東京本社広告局企画開発部では、「『昭和史』特集保存版発行のお願い」と題する企画書を作成し、右企画書の中には「東京新聞では新元号実施にあたり、昭和時代の偉大な足跡を顧みて、日本史の中での評価は後世の歴史家に任せるとして、『昭和』は戦前、戦中、戦後、そして民主化、近代化、工業化、経済大国ニッポン、世界のリーダーにまでなった、まさしく激動の時代でした。この姿を『昭和史』特集保存版として発行することになりました。」と記載されていた。
出版広告部では、第二集の広告掲載のために広告局から部に割り付けられたスペースに、昭和史だけでなく、昭和と天皇に関する本の広告を集めることにした。また、出版広告部は、前記企画書に以下のような依頼文を添付した上で広告会社に配付することとした。
「なお、昭和及び天皇関係について書かれた書籍の連合広告を募集します。ぜひご出稿のほどお願い申し上げます。
広告料金 一枠三段八分の一で定価三〇万円(中日新聞及び東京新聞併載)
持ち単価のある場合はそれを適用
原稿締切 一月一二日(木)
紙やき又は版下」
(三) 本件企画広告では、広告の募集期間が短かったため、被控訴人は、広告会社に全てを任せるのではなく、出版広告部の部員も直接出版社に広告出稿の要請をすることとした。
(四) 平成元年一月一〇日の控訴人に対する川本及び西田の広告出稿依頼については、先に引用した原判決摘示の第二の一争いのない事実2記載のとおりであるが、その際、川本は控訴人代表者に対し、割引きについて具体的な金額の提示をしなかったものの、「金額の点については相談に乗りますのでご検討をお願いします。最低でも二桁くらいはお願いしたい。」と話した。
(五) 西田は、同月一二日午前一〇時ころ、控訴人代表者に電話をして、掲載条件が中日新聞と東京新聞の併載から東京新聞の単独掲載に変わったので、広告代金もさらに値引きすると述べ、再度広告の出稿の依頼をした。これに対し、控訴人代表者は、「うちは自発的に広告を出すことはまずない。稀に出す場合は広告代理店が買切企画で最後の一枠が埋まらない場合に、原稿製作料程度の金額を出して載せてもらっているくらいだ。」との趣旨のことを述べ、広告の出稿を断ったが、西田から三万円という提示があったので、控訴人代表者は一万円なら出してもよいと述べた。これに対し、西田は、「分かりました。一万円なら出して頂けるのですね。」と確認をとった。そして、西田は、原稿の締切が翌日であるので、版下原稿は被控訴人が作成するから、広告の原稿を手書きでもよいから至急ファクシミリで被控訴人に送ってほしいと要請したが、控訴人代表者は、今日は一日忙しいので明日まで待ってくれと述べ、西田は翌日の朝まで待つことにした。
また、右電話の際、控訴人代表者は、「代金決済は直でやりましょうか。あるいは代理店を通す形でやりましょうか。」と質問し、西田は、広告代理店を通してするように答え、控訴人代表者は被控訴人と取引のある広告会社のうち日新広告を指定した。
(六) 控訴人代表者は、先に引用した原判決事実摘示第二の一争いのない事実4のように、同月一二日午後六時四二分、手書きで広告原稿を作成して出版広告部あてにファクシミリで送信し、西田は翌一三日午前九時三〇分に出社して右原稿を見て、直ちに版下作成のために、これを版下作成業者である株式会社精美堂(以下「精美堂」という。)にファクシミリで送信した。
(七) 西田は、控訴人の原稿の広告文面に、「(昭和天皇の)戦争責任を鋭く問う」という箇所があるので、これをそのまま「昭和史」特集保存版の広告として掲載してよいのか疑問を抱き、川本と田沢に相談した。その結果、自分たちだけでは判断できないという結論に達し、田中出版広告部長の判断を仰ぐことにしたが、田中が外出していたので、夕方に田中が帰社するのを待つことにした。
(八) 同日午後一時半ころ、精美堂から被控訴人に版下原稿のファクシミリが戻ってきたので、西田はそのうち明らかな誤植の部分を三文字修正したが、右のような問題があったことから、控訴人に直ちにファクシミリで送信することなく、机の上に置いておいた。
その後、西田が外出した後、川本が、午後四時四八分ころ、右のように修正した原稿を控訴人にファクシミリで送信した。
午後五時二七分、控訴人から何箇所かの修正を依頼する原稿がファクシミリで送信されてきたので、西田は、そのままこれを精美堂に送信した。ところが、精美堂からは控訴人が修正した箇所が多過ぎて校正に時間がかかり定稿に間に合わないので、修正箇所を少なくしてほしいとの連絡があり、午後五時五〇分ころ、控訴人代表者から西田に修正原稿を見てもらったかどうかという電話がかかってきた際、西田は、写植であるから修正に時間を要するということと、精美堂から修正箇所を少なくしてほしいという連絡が来ている旨を説明した。そのため控訴人代表者は、誤植の訂正と字体をゴシックにすること及び「ドキュメント昭和天皇」のタイトルの字体の間延びを詰めることの三点に絞って校正を依頼することとし、西田もこれを承諾し、その旨精美堂に連絡し、ここにおいて広告の文面は確定した。
(九) 同日午後五時五五分ころ、田中出版広告部長が帰社し集まった原稿を見て、本件の広告の文面中の「(昭和天皇の)戦争責任を鋭く問う。」という箇所は「昭和史」特集保存版に載せる広告の文面としては不適切であるから、今回は出稿を遠慮してもらうという判断を下した。同部長は、新泉社発行の「天皇の戦争責任を追及し、沖縄訪問に反対する東京会議」編「昭和の終焉と天皇制の現在」も、その編集者名に難があるので、出稿を遠慮してもらうことにした。川本は、集まっていた原稿のうち、掲載しないことにした右二稿を除いた原稿を品川の整理部に持参した。
(一〇) 西田は、同日午後六時三〇分ころ、控訴人代表者に電話で「(昭和天皇の)戦争責任を鋭く問う。」という箇所がまずいので掲載できなくなった旨連絡したが、控訴人代表者はこれを了承せず、反論したため、物別れに終わった。なお、前記新泉社の本については、当初から日新広告の松田が申込みの勧誘等一切を行っており、掲載できなくなった旨の連絡や釈明等も同人が行った。
2(一) 右事実によれば、本件広告については、被控訴人の出版広告部員である西田及び川本が当初の申込みの勧誘から広告料の取り決め、広告文の校正、決定等一切の事務を行っていたものであり(予定通り広告が掲載されていれば、正に広告料金の決済の問題しか残っていなかったはずである。そして、控訴人代表者に対し断りの連絡をしたのも、日新広告が広告代理店として介在していた新泉社の場合と異なり、日新広告の松田ではなく、被控訴人の出版広告部員である西田であったことは、本件の取引が日新広告を通してしたものでないことを示す事情といい得る。)、遅くとも広告文が最終的に決定された平成元年一月一三日午後五時五〇分には、控訴人と被控訴人との間で、一月一八日被控訴人発行の東京新聞「昭和史」特集保存版に一枠三段八分の一の「ドキュメント昭和天皇」の広告を一万円で掲載する旨の契約が成立したものと認めるのが相当である。なお、前記認定の取引の経緯等からすると、西田には、被控訴人のために広告掲載契約を締結する代理権があったものと認められる。
(二) 被控訴人は、新聞広告の掲載媒体である被控訴人東京本社出版広告部が、出稿者である出版社と直接新聞広告掲載契約をすることはありえないと主張するところ、甲第一七号証の一ないし三、第一九号証の一、二、第三三号証、乙第五号証の一、二、第一八号証の一、二、第二〇号証、証人田中、同松田の各証言及び控訴人代表者尋問の結果によれば、被控訴人においては、広告掲載契約を広告依頼主と直接締結すること、あるいは代金の取立のみを広告会社の取扱いとすることは原則としてなく、通常は広告会社を介在させる取扱いであること、控訴人との間でも、「ドキュメント昭和天皇」等の控訴人出版の書籍の広告を、昭和五九年七月二七日から昭和六三年一二月一八日にかけて四回にわたり被控訴人発行の日刊紙(東京新聞、東京中日スポーツ、中日新聞)に掲載したことがあったが、いずれの場合も控訴人と被控訴人が直接契約を結んだことはなく、広告会社を介在させて、控訴人と広告会社、広告会社と被控訴人がそれぞれ契約を締結して広告が掲載されたこと、広告掲載契約における一般的慣行としても、広告会社を介在させることなく、新聞社と広告主とが直接契約を締結する例は稀であることが認められる。
しかしながら、甲第三三号証及び控訴人代表者尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件のように特に時間的制約がある場合等には広告主と新聞社とが広告会社を通さず直接契約をする「直扱い」をすることもありうることが認められるのであって、右のように直接契約を締結する例が稀であるからといって、本件においても広告会社を介在させる取引でしかありえなかったということはできず、前記認定の妨げとなるものではない。
(三) もっとも、1(五)で認定したように、本件においても、控訴人代表者と西田との間で、被控訴人が基本契約を締結している広告代理店である日新広告の名が出たことは認められる。
しかしながら、控訴人代表者の尋問の結果によれば、これは、被控訴人が僅か一万円の広告料金を取り立てるのは大変であろうと思った控訴人代表者が、支払いは直でするか、日新広告を通してするかを尋ねたのに対し、西田において日新広告を通してすることを選択指示したものに過ぎないことが認められるのであり、このことから控訴人と日新広告、日新広告と被控訴人の二つの契約を締結することが予定されていたものということはできない(なお、証人西田は、右の点に関連し、控訴人代表者に対して、被控訴人は控訴人と直接取引できないので代理店を指定してほしいと明言し、これに対し控訴人代表者が日新広告を広告代理店に指定したものであると供述するが、控訴人代表者の尋問の結果に照らして、直ちにこれを採用することはできない。)。また、証人松田の証言によれば、控訴人に対する広告料金の請求は、日新広告が自らの名で自社の経理手続に従って、自社の名の請求書を作成して行うものであり、締切日、支払期日も日新広告の控訴人に対する請求及び被控訴人の日新広告に対する請求においてそれぞれ異なってくる可能性のあることは認められるものの、そうであるからといってこれらの事実から本件において別個独立の二契約が成立しているものと認めることはできない。
さらに、被控訴人は、日新広告は被控訴人との間の掲載料金を裁量で決めうるものであり、これは、日新広告が掲載契約とは別個の出稿契約の契約当事者であり、その出稿金(広告料金)を徴収するからにほかならないとも主張するが、本件において、日新広告が控訴人と被控訴人が取り決めた額と別の額を被控訴人に支払ったであろうと推認させる証拠はなく、被控訴人の右主張は採用しがたい。
そして、証人松田の証言によれば、一月一二、三日ころ、控訴人代表者や被控訴人の社員から、控訴人が本件広告を出稿しようとしていること、その際日新広告を利用しようとしていることを知らされたことが認められるが、これも、広告料金の決済の問題と考えれば、前記認定と矛盾するものではない。
3 以上によれば、控訴人と被控訴人との間で控訴人が主張するとおりの広告掲載契約が成立したものというべきであり、被控訴人は、同月一八日発行の東京新聞朝刊「昭和史」特集保存版に「ドキュメント昭和天皇」の広告を掲載しなかったものであるから、控訴人に対し債務不履行の責任を免れないものというべきである。
なお、被控訴人は、本件広告の掲載を拒絶した理由として、本件企画の趣旨は昭和天皇の追悼をすることであり、本件広告文は右趣旨に合わなかったからであると主張する。しかし、仮に被控訴人において本件企画の趣旨をそのように予定していたとしても、本件の企画書(前掲甲第一号証)にはそのような趣旨の記載はなく、他に本件契約成立前に被控訴人から控訴人に対しその趣旨を伝えたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、証人西田の証言及び控訴人代表者尋問の結果によれば、西田を含む被控訴人の社員等も控訴人代表者に対し、最後に(一月一三日午後六時三〇分に)本件広告を掲載できない旨を連絡する際に、本件企画が右趣旨のものであることを告げるまでそのことを一切言っていないことが認められるのであって、本件広告の掲載契約が成立した後になってその掲載を拒絶することを正当化し得るものではなく、被控訴人は、これによって債務不履行の責任を免れ得るものではないというほかはない。
二争点3(損害)について
1 控訴人は、本件広告が掲載されなかったことにより、少なくとも一〇〇人の購読者を失い、少なくとも五〇万円の得べかりし利益を喪失したと主張し、控訴人代表者の供述中にはこれに副う部分がある。しかしながら、これを裏付けるに足りる客観的証拠がない上、控訴人は、西田らの本件広告の勧誘を断り続け、三万円との提案にも応ぜず、「うちは自発的に広告を出すことはまずない。稀に出す場合は広告代理店が買切企画で最後の一枠が埋まらない場合に、原稿製作料程度の金額を出して載せてもらっているくらいだ。」との趣旨のことを言って一万円なら出してもよいと提案したことからしても、控訴人代表者自身右のような広告効果があるとは考えていなかったことが明らかである。しかし、有償で広告掲載を依頼する以上は何がしかの広告効果を期待することはできたものと考えるのが合理的であり、広告料と同額程度の得べかりし利益はあったものと認めるのが相当である。
2 控訴人は、被控訴人の社会的に容認しがたい理由による本件広告の掲載拒否により、出版法人としての名誉と信用を著しく毀損されたと主張するが、名誉毀損が成立するためには、その名誉毀損事実が被害者の意に反して一定範囲の者に流布されることが必要であると解されるところ、前記認定事実によれば、被控訴人が本件広告を掲載しなかった事実は、本来は当事者とせいぜい日新広告しか知りえなかったことであるから、本件においては右の要件を欠くものというべきである(甲第一〇、第一一号証、第一四号証の一、二、第二二、第二三、第二九号証によれば、被控訴人が本件広告を掲載しなかったという今回の事件が「新文化新聞」や「出版ニュース」あるいは外国の新聞に取り上げられたことが認められるが、控訴人代表者尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、これは、むしろ昭和天皇死亡前後の日本のマスコミの風潮に不満ないし疑問を持った控訴人代表者が自ら積極的に事柄を公表したことによるものであることが認められ、これによって右要件を満たしたということはできない。)。さらに、甲第三〇号証及び田中証言によれば、被控訴人は一般的に本件書籍の広告掲載を拒絶しているものではなく、ただ本件の「昭和史」特集保存版の広告に控訴人が望む広告文で掲載することを拒絶しているに過ぎないこと、控訴人自身、本件の企画広告が天皇追悼の趣旨であり、「大行天皇の崩御を慎んで追悼申し上げます。」などといった類の見出しがついたものであれば、版元や出版物のイメージダウンにつながると主張していることからして、被控訴人の本件債務不履行により控訴人の名誉が毀損されたと認めることもできない。
3 控訴人は、控訴人代表者が本件契約の締結交渉等のため少なくとも五時間を要したが、本件当時の控訴人の年間の総売上額は約三六〇〇万円、総労働時間は二〇〇〇時間で、総利益の六割は代表者の労働によるものと考えられるから、この間代表者が別の仕事をしていれば、少なくとも五万四〇〇〇円の利益を上げることができたはずであると主張する。しかしながら、控訴人の年間売上高、控訴人代表者の年間総労働時間等が控訴人主張のとおりであるとしても、そうであるからといって、控訴人代表者が本件契約の締結交渉等に当たらなければ、その労働時間に相当する利益を控訴人が上げたであろうとは必ずしもいえないし、他に控訴人主張の右逸失利益の喪失を認めるに足りる証拠はない。のみならず、控訴人代表者が契約締結交渉に要した労働は元来契約の履行に必要なものであったのであるから、契約が履行されれば得たであろう利益の喪失が填補されさえすれば、それ以上に控訴人代表者が契約締結交渉に要した労働時間に相当する利益の喪失を、控訴人が受けた損害として、被控訴人に対しその賠償を求めることはできない道理といわなければならない。
弁論の全趣旨によれば、控訴人は、広告原稿の作成のためのファクシミリ送信、電話料金として少なくとも五〇〇円の出費を余儀なくされたことが認められる。
4 控訴人はさらに弁護士費用を請求するが、不法行為と競合するような債務不履行の場合は別として、一般の債務不履行による損害賠償請求にあっては、その債務不履行が著しく反社会的、反倫理的である場合である等特段の事情がない限り相手方当事者に対して弁護士費用を請求することはできないものと解すべきである。しかるに、右特段の事情については何らの主張・立証もないから、右請求は理由がない。
5 したがって、被控訴人は、控訴人に対して債務不履行による損害賠償として一万〇五〇〇円を支払うべき義務がある。
三結論
以上によると、その余の仮定的争点については判断するまでもなく、控訴人の本訴請求のうち、被控訴人に対し、一万〇五〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである平成元年一月二七日から完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は理由があるから、認容すべきであり、その余は失当として棄却すべきである。したがって、これと一部結論を異にする原判決を主文のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小川英明 裁判官満田明彦 裁判官曽我大三郎)